国道特10号
起点 長崎縣下縣郡鶏知村
終点 長崎縣下縣郡竹敷村
延長 6.2 km
制定日 大正9年12月25日
改正履歴
全体図 Download : MR-10.trk (トラックファイル)
旧国道特10号(県道197号)
国道特9号に続き,国道特10号も長崎・対馬に巡り張られた国道となった.

国道特8号からカウントすれば,対馬における軍事国道は3路線連続の指定となっている.明治時代から引き継がれてきた地理学的な国防の重要性が示されていることにもなる.

国道特9号でも起点・終点となっている鶏知地区から始まり竹敷村に向かう道,それがかつては国道特10号であった.

この道は現在,県道197号(竹敷鶏知線)となっていて,竹敷地区は浅芽湾を巡るシーサードコースとしては申し分ないほどに快適な道ともなっている.

鶏知から竹敷へは,この道一本しかない.中央車線が途切れたところで道は終わり,正面には今でも軍事施設としての海上自衛隊(対馬防備隊)が道を塞ぐ.

海上自衛隊の施設があるからということで物々しい警備がなされていることはない.威容を誇らしげに佇む船舶も浅芽湾に停泊していることもなく至って穏やかな光景が広がる.

旧国道特10号(竹敷)
この竹敷が軍事的な拠点とされたのは明治10(1877)年とされる.

この年に西郷隆盛を首班とする旧薩摩藩士と明治政府との間に繰り広げられた西南戦争があったように,この段階ではまだ日本という国家防衛という組織が確立されていない段階のことであった.

その後の明治19(1886)年に海軍条例とこれに付随する鎮守府官制が同時に敷かれることによって,国家単位で海軍の組織的な枠組みが確立されたことになる.

海軍条例では海防を五海軍区に分け,対馬はこのうち「第三海軍区」に編成されることになった.

竹敷が第三海軍区の重要拠点として公文書にも明記されたのは明治22年4月16日に公布された「水雷隊条例」に基づく「要港」としての指定.この第一条によれば水雷隊を置くことができるのは「軍港要港」であることが条件とされ,その軍港要港に選ばれた港は横須賀,呉,下関(馬関),佐世保,そして竹敷の五箇所のみであった(明治二十三年・勅令第百七十九号・水雷隊配備表).

列記された地名だけを追っていっても,そうそうたる顔ぶれの中に「竹敷」が連ねられている.

「水雷隊」というものは,現在でいうならば防禦のための機雷設置や掃海に重きをなした部隊,としてしまうならば規模が小さく感じられる.「水雷」には,防衛主体の受動型である「機雷」,攻撃型で能動的な「魚雷」,および対潜水艦をターゲットとした「爆雷」が含まれるが,明治初頭においては,まだ「魚雷」は実用面では未熟な時代であり,当時の機雷の役目は要港の敵船からの進入を阻止する,もしくは敵の要港において機雷を設置し,敵船を港湾に隔離して外海と遮断するものであった.

日本にとっても大きな転機が訪れたのは明治27(1894)年8月から翌28年3月までの半年間にわたって繰り広げられた日清戦争があり,この戦争において,「水雷隊」がそれまでの世界の常識では思いもよらなかった魚雷戦を威海衛で試みた.威海衛海戦において,日本の水雷艇船団が清の戦艦・定遠を大破・撃沈に至る戦果を挙げた.

土木遺産  竹敷港・石締切堤
その立役者の一人に,当時37歳であった海軍大尉・鈴木貫太郎(海軍大将・第42代内閣総理大臣)がいる.鈴木は水雷艇長としてこの対馬・竹敷から出撃している.そんな誇らしい過去の栄光も,いまの竹敷では語られることもない.

この戦いに勝利したことによって日本は朝鮮に対する権益を強めていくと同時に,仮想敵国をロシアとする意識が否応にも高まることになった.

その後,日露戦争を終え,日韓併合(明治43年)によって日本の権益区域が朝鮮まで及ぶことになり,対馬の防備上の役目は朝鮮へと移行させていくことになった.

これを機に竹敷は防衛上の要としての地位から外されていく.日清戦争後の組織変更に伴って竹敷軍港は「要港部」として引き続き要所となっていたが,大正元(1912)年には竹敷要港部は廃止.公文書では最終的には大正12年の勅令(第59号)を以って完全に役目を終えたことになっている.

軍事国道が制定された大正10(1921)年のこと.すなわち,竹敷の要港部が事実上なくなっていている時期に設定された国道となる.確かに遡ること約20年から30年前の竹敷は軍事施設としての拠点でもあったが,何故,このような時期に竹敷までの道を国道とする意味があったのか改めて考えさせられる.


【参考・出典】
「軍事道路改修に関する件」 大日記乙輯大正12年,レファレンスコードC03011909800,大正12年
美津島町誌 美津島町役場,1978
聖断・昭和天皇と鈴木貫太郎 半藤一利,PHP研究所,2006
海軍水雷史 海軍水雷史刊行会,(非売品),1979

御署名原本・明治十九年・勅令第二十四号・海軍条例 レファレンスコード A03020002800
御署名原本・明治十九年・勅令第二十五号・鎮守府官制 レファレンスコード A03020002900
御署名原本・明治二十二年・勅令第四十七号・水雷隊条例 レファレンスコード A03020038100
御署名原本・明治二十三年・勅令第百七十九号・水雷隊配備表 レファレンスコード A03020078000
御署名原本・明治二十二年・勅令第七十二号・鎮守府条例制定鎮守府官制廃止 レファレンスコード A03020040600
御署名原本・明治二十九年・勅令第二十号・水雷隊配備表廃止 レファレンスコード A03020226000
御署名原本・明治二十九年・勅令第三号・対馬国竹敷ヲ要港ト定ム レファレンスコード A03020224300
御署名原本・明治二十九年・勅令第四号・要港部条例 レファレンスコード A03020224400
御署名原本・大正十二年・勅令第五十九号・明治二十九年勅令第三号(要港ヲ定ムルノ件)及同年勅令第二百三十七号(竹敷要港境域ノ件)廃止 レファレンスコード A03021435300

[2007.12.15作成]