国道特41号 | ||
起点 | ~奈川縣横濱市戸塚区笠間町 | |
終点 | ~奈川縣藤澤市大鋸 | |
延長 | 5.9 km | |
制定日 | 昭和20年3月1日 | |
改正履歴 | なし | |
全体図 | Download : MR-41.trk (トラックファイル) | |
この国道のルートについては,大いに迷うところがあった. まず,起点となる「横浜市戸塚区笠間町」については,中途半端な場所ながら,既に指定されている国道特36号と分岐を成す笠間十字路と考えることで解決する. 一方の,終点「藤沢市大鋸(だいぎり)」とは? 「藤沢市大鋸」は現在においても存在し,JR藤沢駅の北東部に位置する. 問題となるのは,その二点を結ぶラインがどこにあったのかを定めることになるが,大正軍事国道の法令における公布の性質上経過地の指定がなく,また,この国道特41号については資料上も残されていないため,更に頭を悩ます. 「笠間」と「藤沢」を結ぶ路線となれば,現在の路線に対応させるとするならば 笠間十字路から神奈川県道23号(環状4号)−田谷町−県道312号−島の神−柄沢橋−県道302号−県道30号(旧東海道)交点 となる。 初めて地図上を眺めて感じたことは,この指定路線の界隈には,あまりにも軍事的な施設や軍事上の重要性がないことであった. 無理を押し通して考えたことは,大船は軍事産業と関連する戸塚一帯の工業地域であったこととの関連性であった. 例えば,大船駅前の東洋高圧工業株式会社(現三井化学株式会社),日本光学工業株式会社(現ニコン株式会社),三菱電気会社大船工場(現:三菱電機株式会社情報技術研究所),芝浦製作所株式会社(現:芝浦メカトロニクス株式会社),また大船駅から北部に位置する日本タイヤ株式会社(現株式会社ブリヂストン)が集合していることから,この工業地帯を連携する目的があったかと単純に考えることもできる. しかし,それだけならばなにも藤沢市まで延伸する必要性はなく,国道特41号は明らかに別目的で設定されたものであったことになる. このルートの目的は,地図上から辿ると大船の海軍第一燃料廠と東海道を結ぶことになるが,たったそれだけの目的のためにわざわざ軍事国道として指定する手続きを踏んだのかと訝しく思える. そのように思う中でヒントを得たのが厚木飛行場.この国道特41号は横須賀の追浜飛行場と厚木飛行場とを国道特36号を経てつなげる一環の路線であったのではなろうかと考えることで,この国道の位置づけが明確になるように思える.藤沢からは現在の国道467号に対応する長後街道と接続するので,これを以って両空港を機動的に結ぶことを考えたのではないだろうか. また,もう一つの手がかりは国道特41号が指定される年から遡ること12年前の昭和8年の公文書類の中にある.この年の12月に内務省から海軍省に対して新に認定を要する国道の照会が行われたことをうかがわせる一通の書類がある. 昭和8年12月5日のに海軍・軍務局長から内務省土木局長への回答,軍務ニ機密第775号には, (1)新に国道の認定を必要とするもの, (2)改修を要するもの, (3)国道工事促進を要するもの, の3つについて内務省の道路局課長が海軍省に対して問合せをした結果を返している. この(1)で新に国道の認定を希望した中に「神奈川県船越から大船間」があって,その事由には「横須賀鎮守府平塚所在海軍火薬廠間の交通上,必要に付」と書かれている. 翌月には横須賀鎮守府から訂正が入り,「神奈川県船越から大船間」から「神奈川県船越から藤沢間」への変更の要請が入るが,その理由には藤沢で既存の国道である国道一号に連絡をすると利便性が良いことが記されている(昭和9年1月23日横鎮機密第98号). この一連の公文書の流れを見るならば,昭和の初期の段階から既に横須賀と平塚の火薬廠とを藤沢を経由させて東海道で結ぶ考えが海軍にはあり,国道特41号はそれを踏襲した結果として指定を受けた形跡がある. 【参考】 戸塚区史 戸塚区史刊行委員会,1991 国道路線一部変更の件(4) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108,Ref.C05034505100,昭和8年12月19日 [2006.07.08作成] [2007.01.06改訂] 全体図訂正,断面図挿入,公文書関連追加 [2008.11.15改訂] 図表改訂 |