国道特3号
起点 靜岡縣駿東郡
富士岡村大字二子
終点 靜岡縣駿東郡
玉穂村大字瀧ヶ原
延長 10.3 km
制定日 大正9年12月25日
改正履歴
全体図 Download : MR-3.trk (トラックファイル)
旧国道特3号(滝ヶ原駐屯所前)
国道特3号の起点は富士岡村大字二子,終点は玉穂村大字瀧ヶ原となっている.現在の路線に対応させるならば,おおよそ静岡県道155号(滝ヶ原富士岡線)となる.

御殿場からかつての有料道路であった富士山スカイライン(静岡県道23号御殿場富士公園線)を御殿場口新五合目方面に向かう途中に,陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地の脇を通る.終点の滝ヶ原には古くから瀧ヶ原廠舎があり,富士軍事演習場への入口となっていた.

富士山麓における実弾演習は明治29(1896)年に初めて行われたが,正式に「富士裾野演習場」として開設されたのは明治45(1912)年1月14日に日本陸軍と地元の関係町村長との間で「富士裾野演習場使用協定」が結ばれてからのこと.

ただし,富士裾野演習場として開設されるよりも前に明治42(1909)には,滝ヶ原廠舎,および板妻廠舎が設置された.

一方の起点側は,富士岡村で当時の沼津御殿塲線(旧箱根裏街道)につながるようになっている.旧箱根裏街道は,現在の県道394号(沼津小山線)になるが,裾野バイパスが完成する以前は国道246号でもあった.

大日記乙輯大正12年より
正確なルートとなると判定が難しく,まず概要を把握することができるのは大正12年「大日記乙輯」にある「軍事道路改修に関する件」の図を参照することで手がかりを得ることができる.右の図は,その該当する部分を複写したものになる.

ここには三島-沼津-吉原をつなぐ東海道を底辺として右上に御殿場が位置する形で路線が描かれていて,太線は基本的に「国道」を示している.

国道特3号は東海道と基準に考えて三島から北上した場合に,最速で滝ヶ原および中継地点にある板妻廠舎とを結ぶことができる道として設計された感がある.

御殿場から板妻廠舎を連絡して吉原まで向かう太線は国道特2号であるが,国道特3号は板妻で交差する国道特2号と連携して御殿場,滝ヶ原,板妻の3拠点を系統的に連絡するようにもなっている.

しかしながら,詳細ルートを辿ることになると,地形図を頼りにしなければならなくなる.当時の地図上を眺める限りでは,起点と終点を一目判然とさせるようなルートは見当たらない.スタートとなる富士岡村の当時の地形図を見ても,以下のようになっている.

大正8年段階 現在

現在の御殿場線の富士岡駅は昭和19年に開業したため東海道線時代の大正8年図には描かれていない.それを鑑みて地図を眺めると,ちょうど現在の富士岡駅の北部を横断する道路が大正8年の地形図にも描かれており,これを右に辿ると箱根裏街道との交点には役所を示す○印がある.その印の右には箱根裏街道を跨って「ニ子」の地名が記され,この交叉点が起点の「富士岡村大字二子」となっていた可能性が高い.起点としては主要村における重要街道との交点になっている.

しかし,御殿場線を東側に渡ってから「下村」で分岐するが,当時は中清水側へ抜ける道が本線となっていた.

現在では,国道246号の喧騒とは対照的に民家の集落を抜ける細い道となっており,ここがかつての国道だったことをうかがわせるものは何もない.

新旧比較が繰り返すことはここで留めることにして,国道特3号はその後昭和11年に駒門廠舎が設置されたことにより,駒門−板妻−滝ヶ原の3つの廠舎をつなぐことになったため,より重要性が高まることになった.

【参考・出典】
「軍事道路改修に関する件」 大日記乙輯大正12年,レファレンスコードC03011909800
「富士裾野演習場内民有土地買収並家屋移転の件」  大日記乙輯 明治44年,レファレンスコード C02031329400
「富士裾野演習場内整備に関する件」 大日記乙輯 明治44年,レファレンスコード C02031343000
「裾野市史」(9)通史編2 裾野市,2001

[2007.01.06作成]