国道特2号 | ||
起点 | ~奈川縣足柄下郡温泉村 | |
終点 | 靜岡縣富士郡今泉村 | |
延長 | 48.7 km | |
制定日 | 大正9年12月25日 | |
改正履歴 | 大正11年8月8日 終点 今泉村→加島村 | |
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明治43年10月 「壹大日記」にある「神奈川県下道路開鑿の件」によれば,東海道(明治国道2号)の第二ルートとして箱根峠を迂回する道路の新設が検討されており,湯本から仙石原を経由して御殿場まで通じるルートが討議の対象となった. 興味深いことに神奈川県側は長尾峠ルートを候補としたことに対して,静岡県側は乙女峠を選定しており,最終的には神奈川県側の意見に集約される形で長尾峠案に絞り込まれた. このことを受けて長尾峠区間の工事が明治44年2月より起工が始まり,大正3年8月には竣工,そして11月9日には盛大なる開通式が執り行われた. しかしながら,この開通によっても道路としての機能は確保されていたが,いわゆる軍事的な要素においては,まだ改良の余地を残すことが大正3年6月に作成された「箱根新国道補修に関する件」(工兵課作成)で記されている. この報告書によれば,小田原と御殿場間を結ぶ「新国道」(国道58号)における効果として 「小田原ヨリ仙石原ヲ経テ御殿場ニ通スル国道開設ノ結果 軍隊ノ行軍演習殊ニ冨士裾野演習場往復ノ為至大ナル便益ヲ得候ヘ共 該道路中塔ノ澤西方坂路ハ傾斜七分ノ一強ニシテ重砲其他重材料ノ通過ニ殊ニ困難ヲ感シ」 とあるように,重砲を運べるレベルの道路が確保されている一方でかなり厳しいものとなっている. この「塔ノ沢から西方」なる道も,時の明治政府によって整備されたものではなく,明治19年11月に富士屋ホテルの創始者・山口仙之助の個人の資金によって改修された道であった. 富士屋ホテルといえば,現在の国道1号と国道138号が分岐する宮ノ下にあり,箱根の中でも老舗中の老舗の一流ホテルであるが,明治中期においては,箱根湯本から宮ノ下までの道は,東海道からも外れた道であって函山七湯に浴する人のみが通じ,人力車も通れない程度の山道であった.富士屋ホテルは交通の便を解消することで集客力を挙げる必要性から自らの資金を以って開鑿したもので,国家計画に基づいていた訳ではなかった. 大正になり新に制定された道路法によって,国道として継承されることが期待された.しかし,大正9年4月1日に発令された「國道路線認定ノ件」では何故か認定の枠には入ることはなく,完全に抜け落ちている格好となった. このことが関係省庁においてこの断片化が浮き彫りとなって,その年の12月25日に軍事国道として「國道路線ノ認定」の法令で国道特2号へと転化した道となった不可解な経緯を辿る. なお,4月1日から12月25日までの8ヶ月間,宮ノ下から御殿場までの区間の道路法令上の扱いは県道「箱根御殿場線」となった. 【参考・出典】 御殿場市史(6) 近代資料編II 御殿場市,1979 「神奈川静岡両県に亘る別路線を国道に編入の件」 壹大日記,レファレンスコード:C04014671600,明治43年8月 「神奈川県下道路開鑿の件」 壹大日記,レファレンスコード:C04014686900,明治43年10月 「箱根新国道補修に関する件」 大日記乙輯 大正4年,レファレンスコード:C02031875400 ,大正4年 「国道特2号路線変更の件」 大日記乙輯大正10年,レファレンスコード:C03011612600,大正10年 「軍事道路改修に関する件」 大日記乙輯大正12年,レファレンスコードC03011909800,大正12年 富士屋ホテル八十年史 山口堅吉,富士屋ホテル株式会社,1958 [2006.07.01作成] [2007.01.06改訂] 断面図挿入 |