国道特23号
起点 ~奈川縣三浦郡
田浦町大字浦ク三百七番地ノ一地先
終点 ~奈川縣三浦郡
田浦町大字浦ク三千三百七十九番地地先
延長 1.4 km
制定日 大正9年12月25日

改正履歴 大正11年1月28日
起点:「浦郷三百七番地ノ一地先」→「浦郷字前田千二百三十三 千二百三十四番地合併」へ
全体図 Download : MR-23.trk (トラックファイル)
追浜 国道16号交点
大正軍事国道の中でも,起点と終点が細かな地番表記となっていて路線はこの国道特23号のほかには国道特27号しかない.

国道特23号が地番を用いるのも,起点と終点とが同一地区で収斂してしまう事情によるものとなっているためであろう.しかし,国道の制定から既に80年近くも時間が流れており,当時の地番を探ることもままならない状況となっている.それだけに,この国道特23号の確定の難しさがある.

まず,起点・終点の場所が「田浦町浦郷」に限定されていることに注目してこの地域の地図を眺めることがはじめる.時を経ずして,現在の日産自動車追浜工場が一目瞭然として眼に入る.

追浜工場は昭和25年に施行された旧軍港市転換法(昭和25年法律第220号)によって,戦後に旧海軍・追浜飛行場跡地が日産自動車株式会社へと払い下げられた.このような背景からすれば,国道特23号は旧国道31号(現国道16号)と海軍横須賀航空隊および海軍航空廠(追浜飛行場)を連絡する役割であったことは確定できる.

現在の地図に頼るならば日産追浜工場と国道16号をつなぐルートは大きく二つある.

A. 追浜駅前から国道16号を東に直線的に進み,追浜工場に至る道路
B. 京急田浦駅(船越)から国道16号を折れ,北東方向に伸びて日産追浜工場に至るルート.


この二本のルートのうち,どちらが国道として指定を受けたのであろうか.



一つの手がかりとして昭和10年の海軍省公文備考に収められている「国道路線一部変更の件(4)」にある昭和8年11月25日付の「国道増設に関する件回答」がヒントを与える.

この稟議書には,国道特23号の改修願が綴じられている.この中に一編の挿入図が挟まれていて,ここには国道特23号として上記の「A」に相当する現在の京浜急行・追浜駅から日産自動車追浜工場へ通じる道路が描かれている.

一方で,前後するが,同じく昭和10年の海軍省公文備考に纏められている昭和7年5月6日付の「田浦町道改修工事ニ関スル件」の書類がある.これは横須賀鎮守府参謀長から内務次官および大蔵次官へ宛てた照会に関する内容で,この中で

横須賀海軍工廠造兵部前ヨリ日向榎戸深浦ヲ経テ鉈切ニ通ズル町道」云々

と記されている箇所がある.

照会の中の「横須賀海軍工廠造兵部」は現在の東芝ライテック工場となっている場所にあった.また「鉈切」は日産中央研究所/岡本製作所一帯の地名を指す.このことから,冒頭で想定した二つのルートのうち,ルート「B」は「町道」であったことが示されている.少なくとも横須賀鎮守府参謀長レベルにおける公式文章において,「B」のルートは「町道」としての認識であって,少なくとも国道ではない.

正確には大正時代の番地を調査することで解決を見出さなければならないが,終点の3379番地については,
昭和5年の資料「海軍用地の一部国道敷地として管理換及副申工作物移転並用途廃止解毀の件」にある「国道特二十三号線改修用地分割図」にあるように,現在の日産中央研究所がその番地付近に対応していることがわかる.

始点については,昭和32年に発行された「横須賀市史」に特23号国道について言及がなされており,

「田浦町浦郷巡査駐在所前より追浜航空隊に至る延長八九九間七・巾員四間半−五間の軍用道路」(横須賀市史)

と起点をうかがわせる一文がある.この文献について神奈川県立図書館に仔細を確認したところ,原文は昭和3年の「田浦町誌」から引用されていることが分かった.その田浦町誌には,

「本道は田浦町浦郷(本浦)巡査駐在所で第三十一号國道より分岐して追浜に至る線であって

延長 八九九間七分
幅員 四間半乃至五間」


とあり,続けて起工が大正11年11月,竣工が大正14年1月,総工費17万2254円57銭であったことがまとめられている.これだけならば,横須賀市史からプラスして国道31号の分岐点に駐在所があった場所から国道特23号が分岐していた情報が得られることになるが,さらに田浦町誌にはページを遡ると既に印刷が褪せた地図が挟まれている.

この地図を現在のルートと比較すると,まさに現在の追浜駅前から日産自動車に通じる道路が「国道特二十三号」と銘記されており,国道31号との分岐地点には地番として「浦郷三〇六番地」とある.これは,告示でなされている「三百七番地ノ一地先」の1番違いならが隣接地番となる.国道特23号の路線は資料の断片をつないで行くことによって,上記のAルートであった可能性が高い.

日産自動車 追浜工場(旧海軍 追浜飛行場跡)

2kmに満たない短いルートながら,週末になれば閑散とした4車線の道路が日産工場へ伸びる光景は,あたかも滑走路を彷彿とさせる.また,現在となっては関係者以外は敷地内の状況を知ることはできないが,Google Earthの衛星写真からは,低速用と高速用のテストコースが併設されている様子が映し出されている.

国道特23号は戦後には日本の自動車産業の主力を担う国道へと役割を変えたが,それは,航空から自動車への変遷であって,日本の産業の根底をなすものではまさに共通している.

【参考】
国道路線一部変更の件(4) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108,Ref.C05034505100
田浦町道路改修工事に関する件(1) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-107 Ref.C05034503500
海軍用地の一部国道敷地として管理換及副申工作物移転並用途廃止解毀の件(1) 海軍省-公文備考-昭和5年-S5-124 Ref.C05021361100
田浦町誌 三浦郡教育会,1928
横須賀市史  横須賀市史編纂委員会,横須賀市役所,1957

[2006.07.01作成]
[2006.08.13改訂]
[2007.01.21改訂2]