国道特15号
起点 鹿兒島縣大島郡西方村
終点 鹿兒島縣大島郡東方村
延長 27.6 km
制定日 大正9年12月25日
改正履歴
全体図 Download : MR-15.trk (トラックファイル)
嘉鉄付近
国道特15号は瀬戸内町篠川から蘇刈までをつなぐ軍事国道で,現在の路線に対応させると篠川古仁屋間は県道79号に,古仁屋蘇刈間は県道626号が該当するものとなっている.

戦前,奄美大島と加計呂間島との間に横たわる大島海峡を含む要塞地帯を防備するため,四箇所の砲台が設置された.

奄美大島側は西の拠点に西古見砲台,東には皆津崎砲台を擁した.一方,対岸の加計呂間島には西側に実見砲台,東に安脚場砲台を据え置いた.

国道特15号は国道特14号と一対をなして奄美大島の南岸を東西に連絡する.

古仁屋から皆津崎方面へ向かう県道626号は,清水嘉鉄蘇刈と続く集落間には多少のアップダウンはあるものの,現在は完全に二車線に舗装された道路となっており,整備が施されている.あえて,旧来の痕跡を探るとするならば,清水嘉鉄蘇刈の集落内を通過する道を辿ることで,その一端に触れる思いがする.

最終の蘇刈集落で県道は終わるが,これより皆津崎までは幾分が距離を有する.蘇刈からは町道が始まり,海岸のコンクリート舗装路で固められた道を進む.日本でも珍しい車海老の養殖場の間を通過し,最終地点はヤドリ浜まで道は続いている.

その先,皆津崎までは今となっては道は藪に覆われている.ハブの危険性を考えれば,この先の藪の中をかき分けて行くことは厳しいため,踵を返すのが賢明となるだろう.皆津崎の軍事遺跡を確かめるならば,藪をかき分けるよりも海岸を伝っていくことになるが,道の在り方を調べるならばヤドリ浜までで留めることで目的を満たすことができる.

反対の篠川への道は,一部に1.5車線の幅員を残し,この路線も順調に改良が施されている.途中,手安の集落には旧陸軍の弾薬格納庫跡が残されているが,その他には目立つほどの痕跡は残されていない.

国道特15号の起点と終点の西方村/東方村について.今では「瀬戸内町」として一体となっているが,遡っていけば終点の東方村は,昭和11(1936)年4月1日に古仁屋町と改称.続く昭和31(1956)年9月1日 に古仁屋町と西方村,さらには加計呂間島の二村の鎮西村,実久村が合併して現在の瀬戸内町となった経緯がある.

旧来から奄美大島南部の中心地は古仁屋であったことには変わりなく,その古仁屋は交通の要所ともなっていた.

ヤドリ浜から皆津崎を望む
奄美大島に砲台設置が決定されると,陸軍築城部の大島支部がこの古仁屋に開設された.

大正12年4月には奄美大島要塞司令部が置かれ,主に大島海峡の守備を担う役割を果たす.

この国道特15号は,その古仁屋から東西の砲台が位置する皆津崎砲台,および西古見砲台へと連携を図る目的があったと考えられるが,一路線で両端をつなけず,西側の西古見砲台を含む区間を国道特14号とし,東側の皆津崎側をこの国道特15号とした.

(対岸の加計呂麻島においては,西側の実見砲台と東の安脚場砲台とを「国道特16号」で一本化させているのとは対照的となっている)

なお,大正9年12月25日の制定当時,この国道特14号と国道特15号は篠川-久慈間で断続していたが,昭和17年1月24日の内務省告示第27号で国道特14号の起点側が久慈から篠川まで延伸されたことによって,東西両端は一本化.しかし,国道としては統一されることはなかった.


【参考・出典】
鹿児島県大島軍国道速成に関する件 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-107,Ref.C05034502800,昭和10年
軍事道路改修に関する件 陸軍省−大日記乙輯−T.12〜7−25,Ref.C03011909800,大正12年
軍事上必要なる道路改修の件 陸軍省−大日記乙輯−T.14〜8−26,Ref.C03012148900,大正14年
長崎県東彼杵郡彼杵村早岐町間府県道を国道に認定に関する件(2) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108,Ref.C05034504600,昭和10年

[2006.09.10作成]
[2007.01.06改訂] 断面図挿入