国道特16号
起点 鹿兒島縣大島郡實久村
終点 鹿兒島縣大島郡鎭西村
延長 36.6. km
制定日 大正9年12月25日
改正履歴
全体図 Download : MR-16.trk (トラックファイル)
瀬武付近
奄美大島の対岸に位置する加計呂麻島の大島海峡に面した一帯を東西に結ぶ国道特16号.現在の路線では鹿児島県道614号・安脚場実久線がそれに対応する.

大島からのフェリーの寄航地となる生間と瀬相を中心として道路の拡幅工事が進められているが,集落間の合間には細かい登坂が繰り返される.

起点,終点ともに村名での記載であるが,その地点については,昭和2年11月21日に大島郡東方村長,鎮西村長,実久村長,西方村長,宇検村長の連名で海軍省へ提出された「国道開鑿ノ儀ニ付上申」に該当区間が記されている [1].

これによれば,起点は実久村の中心部・実久であって,終点側は渡連,安脚場となっている.

実久,および安脚場ともに砲台が設置されていた場所(実久砲台および安脚場砲台)であることから,国道特16号は両砲台の連携を保ち,機動的に大島海峡の防備をなすことを目的とした国道であったことが推定される.

安脚場砲台
国道特16号の建設においては,先の上申書によれば,大正9年に指定を受けて内務省の管轄下で測量調査が行われたが,昭和2年に至っても緊縮財政の余波を受けて工事は着工されていない.このような一文からも軍事国道の名目を以ってしても,道路整備に対する進展は促進されることはなく,当時の道路行政の限界が見えてくる.

翌年の昭和3年1月13日,この上申を受けた海軍省は内務省に対して,鹿児島県大島郡内の軍事国道の内,最優先で着工すべき四区間を明示した( [1] 「官房機密第46号」).

その四区間は
1. 実久- (特16号の一部)
2. -安脚場 (特16号の一部)
3. 久慈-西古見 (特14号)
4. 古仁屋-蘇刈 (特15号の一部)

また,同日付で海軍省は陸軍省と連携を図り,内務省に対して工事の斡旋に対して周旋を図った( [1] 「官房機密第46号ノ2」).

陸軍省は一週間後の昭和3年1月21日付「陸普201号」で内務省に対して速成願を提出.ただし,着工区間は海軍省とは異なり,以下の区間を要望している.(出典は崎県東彼杵郡彼杵村早岐町間府県道を国道に認定に関する件(2) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108 「陸普201号」)


1. 実久-薩川 (特16号の一部)
2. 大下田-安脚場 (特16号の一部)
3. 花天-西古見 (特14号の一部)
4. 古仁屋-皆津崎 (特15号の一部)

海軍省と陸軍省の微細な区間での不一致を組織の対立とするべきか,それとも些細な優先順位に認識の相違と捉えるかは判断が分かれるところながら,一つ重要な区間として陸軍省が挙げている「実久-薩川」がある.

実は,この区間は当初の予定線としては薩川からを経て実久へと続く海岸路線を予定していた.しかし,実際の奄美大島要塞の現場判断は難工事であると判断され,昭和9年5月25日に海軍省に対して路線変更願が提出された(出典は崎県東彼杵郡彼杵村早岐町間府県道を国道に認定に関する件(2) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108 「奄要司地第11号」.

この上申書を以って,最終的に路線変更が行われ,薩川からは現在の県道614号にも相当する山越えのルートになった.また,当初予定していたへのルートは,国道特28号として追加指定されるに至った.

現地を訪れて思ったことは,薩川から実久までは山越えルートでもかなり厳しい.海岸ルートを諦めても山側ルートを選択したのは,よほどの判断であったものであろう.

【参考・出典】
[1] 鹿児島県大島軍国道速成に関する件 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-107,Ref.C05034502800,昭和10年
[2] 特十九号国道改良に関する件 陸軍省−大日記乙輯−T.11〜9−27,Ref.C03011768800,大正11年
[3] 軍事道路改修に関する件 陸軍省−大日記乙輯−T.12〜7−25,Ref.C03011909800,大正12年
[4] 軍事上必要なる道路改修の件 陸軍省−大日記乙輯−T.14〜8−26,Ref.C03012148900,大正14年
[5] 長崎県東彼杵郡彼杵村早岐町間府県道を国道に認定に関する件(2) 海軍省-公文備考-昭和10年-S10-108,Ref.C05034504600,昭和10年

[2006.09.01作成]
[2007.01.06改訂] 断面図挿入