| 国道137号 | ||||
| 起点 | 山梨県富士吉田市 | |||
| 終点 | 山梨県東八代郡石和町 | |||
| 延長 | 30.3 km | |||
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| 重要な経過地 | 山梨県南都留郡河口湖町 同県東八代郡御坂町 | |||
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| 指定区間 | なし | |||
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| 全体図 | Download :Yamanashi-R137.trk (トラックファイル) | |||
国道の歴史明治24年には御坂峠改修の案が議会に提出されているが,この時には否決となった. 道路法発布を受け,大正9年4月1日に山梨県から県道が指定される.甲府から御坂峠を経由して富士吉田へ至る路線は,県道14號甲府吉田線となった. 世界恐慌の煽りで日本国内では土木事業を中心とする失業対策がとられたが,その中で御坂峠の開削工事は昭和5年10月から開始された.総額840,000円の御坂隧道は昭和6年11月に完成した. 御坂隧道の工事より1年前,昭和4年11月に内務省告示第345号によって御坂峠を越える区間は国道8号に変更・昇格となった.これにより旧甲州街道の笹子峠を含む大月から石和までが県道へ降格する. 昭和27年に二級国道富士吉田甲府線へ.昭和39年より新御坂トンネル(延長3,875m)が着工された.総事業費は19億4,200万円であった. 太宰治:「富嶽百景」の舞台
店の正面から拡がる視界からは富士が見事に裾を広げ,「天下」と銘打った店名の心がこの壮大な景色からつけられたことを知ることができる. 太宰治がここを訪れたのは昭和13(1938)年9月13日のこと,その年の11月15日まで滞在した. 『昭和十三年の初秋,思いをあらたにする覚悟で,私は,かばんひとつさげて旅に出た. 甲州.ここの山々の特徴は,山々の起伏の線の,へんに虚しい,なだらかさに在る. 小島烏水という人の日本山水論にも,「山の拗ね者は多く,この土に仙遊するがごとし.」と在った.甲州の山々は,あるいは山の,げてものなのかも知れない.私は,甲府市からバスにゆられて一時間.御坂峠へたどりつく. 御坂峠,海抜千三百米.この峠の頂上に,天下茶屋という,小さい茶店があって,井伏鱒二氏が初夏のころから,ここの二階に,こもって仕事をしておられる.私は,それを知ってここへ来た.井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら,隣室でも借りて,私も,しばらくそこで仙遊しようと思っていた. 』(太宰治,富嶽百景) その前年までの生活は,正に荒廃に尽きるほどのものであった.昭和11年秋に武蔵野病院での麻薬中毒の治療,昭和12年には妻・初代と心中を図るものの未遂い終わり,夏には初代と離婚. 太宰治の厭世的時代を象徴する20代は,作品にも多くの影響を残している.この年の6月に30歳を迎えた太宰の中には,20代の忌まわしき時代と決別する意味でも,「思いをあらたにする覚悟」を抱いていたのかもしれない.
太宰治の心境は「富嶽百景」でも述べられるように,石原美智子に対しては安寧感を抱き,好感を寄せている. 一方の石原美智子の気持ちは,長部日出雄氏の『別冊文藝春秋』によれば, 「放蕩無頼のデカダンな生活を送っていた太宰は,美知子との出会いを機に,崩壊してしまった自分の生活と創作活動を新たに建て直したいと望み,美知子もまた,太宰の中に早逝した最愛の兄の面影を重ねつつその才能に魅きつけられていた.」(もう一つの太宰治伝 長部日出雄) と,それぞれお互いの心の隙間を埋めるようなものであったらしい. 初の長編小説「火の鳥」は完成しなかったが,その代わりに,御坂峠での2ヶ月をまとめた,この短編小説「富嶽百景」を生み出した.そして,有名な一節を,後世に残すことになる. 『ことさらに,月見草を選んだわけは,富士には月見草がよく似合うと,思い込んだ事情があったからである. (中略) 河口局から郵便物を受取り,またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中,私のすぐとなりに,濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の,六十才くらい,私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて,女車掌が,思い出したように,みなさん,きょうは富士がよく見えますね,と説明ともつかず,また自分ひとりの詠嘆ともつかぬ言葉を,突然言い出して,リュックサックしょった若いサラリイマンや,大きい日本髪ゆって,口もとを大事にハンケチでおおいかくし,絹物まとった芸者風の女など,からだをねじ曲げ,一せいに車窓から首を出して,いまさらのごとく,その変哲もない三角の山を眺めては,やあ,とか,まあ,とか間抜けた嘆声を発して,車内はひとしきり,ざわめいた. けれども,私のとなりの御隠居は,胸に深い憂悶でもあるのか,他の遊覧客とちがって,富士には一瞥も与えず,かえって富士と反対側の,山路に沿った断崖をじっと見つめて,私にはその様が,からだがしびれるほど快く感ぜられ,私もまた,富士なんか,あんな俗な山,見度くもないという,高尚な虚無の心を,その老婆に見せてやりたく思って,あなたのお苦しみ,わびしさ,みなよくわかる,と頼まれもせぬのに,共鳴の素振りを見せてあげたく,老婆に甘えかかるように,そっとすり寄って,老婆とおなじ姿勢で,ぼんやり崖の方を,眺めてやった. 老婆も何かしら,私に安心していたところがあったのだろう,ぼんやりひとこと, 「おや,月見草.」 そう言って,細い指でもって,路傍の一箇所をゆびさした.さっと,バスは過ぎてゆき,私の目には,いま,ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ,花弁もあざやかに消えず残った. 三七七八米の富士の山と,立派に相対峙し,みじんもゆるがず,なんと言うのか,金剛力草とでも言いたいくらい,けなげにすっくと立っていたあの月見草は,よかった.富士には,月見草がよく似合う.』(太宰治,富嶽百景) 「富士には,月見草がよく似合う」.『富嶽百景』だけでなく,これまでに数多く述べられる富士の中でも,ここまで端的に富士を表現し,人々の心に残る言葉はない. 昭和13年11月16日,御坂峠から甲府市に移り,翌14年1月8日に井伏の家で石原美智子と結婚式を挙げる.甲府における生活は,中期の安定した作品群である「新樹の言葉」,「I can speak」,「薄明」ほか多くの作品の生み出す舞台となった. 【参考文献】 山梨縣政六十年誌 山梨縣,1952 山梨県政百年史(下) 山梨県,1975 『別冊文藝春秋』1999年夏号・桜桃とキリスト(3)/もう一つの太宰治伝 長部日出雄,1999 関東の道・関東歴史街道 関東地方建設局道路部,1988 太宰治 天下茶屋記念館冊子 |
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