国道特35号 | |||
起点 | 沖繩縣那覇市 | ||
終点 | 沖繩縣島尻郡佐敷村 | ||
延長 | 12.2 km | ||
制定日 | 昭和16年12月16日 | ||
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改正履歴 | |||
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全体図 | Download : MR-35.trk (トラックファイル) | ||
区間は那覇市から「佐敷村」(現在の南城市)までとなっている.終点の「佐敷村」には,当時,中城湾における重要な要港として「馬天港」があったことから,国道特35号には那覇中心部と馬天港とをつなぐ意図があったと思われる. 途中,国道特35号は与那原を経由することになるが,与那原には昭和16年の夏に建設された中城湾要塞の司令部があったことからも,国道特35号は那覇市と中城湾要塞の司令部とを連絡する役割をも想定されていたことであろう. 那覇と与那原とを結ぶルートとしては大きく二通りのルートを取りうる.一つは首里を経由するもの(下記の地図におけるルートA),そしてもう一つは南風原を横切って与那原に至るもの(ルートB). 現在のところ,公文書などから上記の2路線の想定から絞り込める一次資料は見つかっていない. ルートAは琉球王国時代からの中心部である首里を通る街道であり,一方のルートBは,沖縄県で初めて鉄道が敷設された区間で,大正3(1914)年に沖縄県営鉄道与那原線として那覇と与那原間9.4qが結ばれた.鉄道とは云っても,狭軌より更に狭い軽便鉄道の様式であったが,那覇と与那原をつなぐには比較的に最短ルートとして認知されていた. 戦後まもない昭和22年に米軍で撮影された航空写真は,当時の道路の道筋を辿る上では貴重な資料となる. 与那原付近を撮影したものでは,上記のルートAおよびルートBがクリアに判別できるほど精度が高い.この写真からは,思いのほかにルートAが細い線となっていて,幅員は狭かったことも考えられるが,一方のルートBは白い筋がはっきり認められ,線形も現在の国道329号と大きく外れていない. どちらか一方が軍事国道であったかは資料を追求していくことになるが,まずこの段階では交通の至便性を優先してルートBを暫定ながら国道と想定することにしたい. 【参考】 「土地用途変更供用替並工作物供用替の件」 公文備考,Ref:C04016846200,昭和4年7月17日 佐敷町史(4)戦争 佐敷町史編集委員会編,佐敷町,1999 [2007.03.15作成] |