国道特26号 | ||||||||
起点 | 千葉縣東葛飾郡葛飾村 | |||||||
終点 | 千葉縣東葛飾郡塚田村 | |||||||
延長 | 1.4 km | |||||||
制定日 | 大正9年12月25日 | |||||||
改正履歴 | なし | |||||||
全体図 | Download : MR-26.trk (トラックファイル) | |||||||
ここから約1.5km先の行田団地までが,旧軍事国道の区間となる. 国道14号交叉点から京成本線の踏切を渡る.その先は特記するほどの心象的な風景はなく,至って平然とした住宅街を抜け,JR武蔵野線の高架橋が見えてきたかと思うと,その先に行田団地の一群が立ち並ぶ. 千葉街道との交叉点からは5分もかからない短い国道.時間をもてあました分,行田団地の周回道路を一周する. 国土地理院の「空中写真閲覧サービス」では日本各地の空中写真を眺めることができるが,東京,大阪,広島,沖縄の一区画において,戦後の昭和21年〜昭和23年にかけて米軍によって撮影された写真がある. 「船橋」地区の中の昭和23(1948)年3月29日に高度1,524mから撮影された写真番号92および93.この空中写真には左手に中山競馬場,右手側には旧東京海軍無線電信所(船橋送信所/行田無線通信塔)が目視でき,その周囲には特徴的なサークル状の道路が写し出されている.そして,左から一筋の道路が斜めに突き抜けるが,この道こそ,国道特26号に他ならない. なお,国道特26号の終点の所在は「東葛飾郡塚田村」であるが,旧東京海軍無線電信所の位置するところは,千葉県東葛飾郡塚田村行田新田であったことは,例えば,公文書「海軍用地使用の件(1)」[1]によって確かめることができる. 現在,船橋送信所の跡地は税務大学校東京研修所,都市再生機構(UR)所轄による行田団地などに転用されているが,地図上を眺めれば当時のサークル状の道路は今でも健在し生活道路として機能する.(JR武蔵野線が開通したことによって,北西部の円形部が切り取られる形になっているが,おおよそ原形を留めている)
船橋送信所が建設されたのは大正4(1915)年のこと.国道特26号は千葉街道(現国道14号)と電信所をつなぐ国道となるが,指定は第一期の大正9年に行われていることからも,指定の当時から通信上の重要性が認知されていることにもなろうか. 船橋送信所の歴史上の役割として,真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を発信したことがある.この打電を受けて昭和16(1941)年12月8日,約3年半に渡るアメリカとの太平洋戦争の口火を切ることになった. まさに日本の運命を決めた打電であって,国道特26号もその一躍を担ったことになる. 【参考・出典】 [1] 海軍用地使用の件(1) 海軍省・公文備考・ 昭和7年 K 土木・建築 巻11,Ref.C05022344000 ,昭和7年 [2006.10.07作成] [2007.01.06改訂] 断面図挿入 |