国道特21号
起点 ~奈川縣三浦郡
南下浦村大字菊名
終点 ~奈川縣三浦郡
南下浦村大字金田
延長 2.8 km
制定日 大正9年12月25日
改正履歴
全体図 Download : MR-21.trk (トラックファイル)
菊名付近
神奈川県の三浦半島.夏になれば三浦海岸は多くの海水浴客で賑わいを見せ,国道134号はピークともなれば上下線とも数珠をつないだように車がひしめく.

国道特21号はその国道134号の「菊名」から分岐して「金田」までの指定となっている.現在の路線に対応させるとするならば,神奈川県道215号がそれに相当する.

国道134号の三叉路「三浦海岸」の信号の分岐から海岸沿いに県道215号を南下する.

車窓の左手に流れる砂浜の賑わいが遠ざかったかと思うと,間もなくして金田の集落に入る.

長閑な空間,一見してここには軍事的な施設があったことを連想することはできない.すくなくとも,その意識さえなければ日本のどこにでもある小さな漁港を擁する一集落と云っても,強ち的外れではないだろう.

戦前,この金田には東京湾要塞の一角を形成する長榴弾砲4門を据えた「三崎砲台」(大正10年竣工)が配置されていた.

金田にあるバス停「京急かねだ荘」から三浦霊園へ.園内を抜ける道を進み,突き当たった三叉路を左へと進むと展望が広がる丘陵地帯へと道は伸びる.

眼前には金田湾が広がり,水平線の彼方には対岸の房総半島が一望できる.

注意深く観察しながら車を進めると,時代に風化された鈍色の二基の門柱が右手に現れるが,これこそは「三崎砲台」の玄関口となる.

数年前までは4門を据えてた砲台跡が残されていたようであるが,現在は完全に畑に転用され,僅かにコンクリートの一部が剥き出しとなった施設が顔を覗かせている.

何故にこの区間が軍事国道として指定を受けるほどのものであったのだろうか.

この区間が国道として指定を受けたのは大正9年,即ち,この時点ではまだ三崎砲台は完成していない.しかし,三崎砲台の建設時においては並行して国道の選定が行われている時期であって,完全に因果関係がない訳ではない.

その三崎砲台の建設にかかる用地買収については大正8年の機密書類「土地及海面管理換の件」に詳細が記されている.

建設当初,砲台の用地のみならず,注目すべきは金田湾に船着場(金田繋船場)の用地買収を見込んでいた.これは,鎮守府のある横須賀との主連絡は陸路ではなく,船によるものであったことを前提としている.

地図に描かれている金田繋船場の用地買収場所は,現在のバス停「京急かねだ荘」の向かいの海岸付近.その金田繋船場から砲台までは,同じく挿入図から現在の三浦霊園に至る道路で,名目は「軍道」としてやはり買収選定となっている.

この一連の用地買収からは,横須賀から陸路による三崎砲台への接続が困難であったことを覗わせるもので,特に現在の国道134号からの交通路が事実上確保されていなかったことを示す.

国道指定への背景は,このような地理的な不都合から生じたものであった可能性が高い.

だが,この三崎砲台が東京湾要塞上,果たしてどれほどの重要性があったのか判断に苦しむところがある.その解答については未だに得ていない.


【参考】
「軍事道路改修に関する件」 大日記乙輯大正12年,Ref.C03011909800,大正12年
「軍道敷地買収の件」 大日記乙輯大正7年 Ref.C03011011000,大正7年
「三崎砲台金田軍道工事を工兵第1大隊に依託の件」 大日記乙輯大正7年 Ref.C03011014000,大正7年
「土地及海面管理換の件」 大日記乙輯大正8年 Ref.C03011117600,大正8年

[2006.08.13作成]